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「少年倶楽部」大日本雄辯會講談社、1937(昭和12)年1月号~12月号

 そいつは全身墨を塗ったような、恐ろしく真黒な奴だということでした。


「黒い魔物」の噂は、もう東京中にひろがっていましたけれど、不思議にも、はっきりそいつの正体を見きわめた人は誰もありませんでした。

 そいつは暗闇の中へしか姿を現しませんので、何かしら闇の中に、闇と同じ色のものが、もやもやと蠢いていることは分かっても、それがどんな男であるか、あるいは女であるか、大人なのか子供なのかさえ、はっきりとは分からないのだということです。

 ある淋しい屋敷町の夜番の小父さんが、長い黒板塀の前を、例の拍子木をたたきながら歩いていますと、その黒板塀の一部分が、ちぎれでもしたように、板塀と全く同じ色をした人間のようなものが、ヒョロヒョロと道の真中へ姿を現し、小父さんの提灯の前で、真白な歯をむき出して、ケラケラと笑ったかと思うと、サーッと黒い風のように、どこかへ走り去ってしまったということでした。

 夜番の小父さんは、朝になって、みんなにそのことを話して聞かせましたが、そいつの姿があまり真黒なものですから、まるで白い歯ばかりが宙に浮いて笑っているようで、あんな気味の悪いことはなかったと、まだ青い顔をして、さも恐ろしそうに、ソッとうしろを振向きながら、話すのでした。

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