top of page

「ヒッチコック マガジン」宝石社、1960(昭和35)年1月

 患者は手術の麻酔から醒めて私の顔を見た。

 

 右手に厚ぼったく繃帯が巻いてあったが、手首を切断されていることは、少しも知らない。

 

 彼は名のあるピアニストだから、右手首がなくなったことは致命傷であった。犯人は彼の名声をねたむ同業者かもしれない。

 

 彼は闇夜の道路で、行きずりの人に、鋭い刃物で右手首関節の上部から斬り落とされて、気を失ったのだ。

 

 幸い私の病院の近くでの出来事だったので、彼は失神したまま、この病院に運びこまれ、私はできるだけの手当てをした。


「あ、君が世話をしてくれたのか。ありがとう……酔っぱらってね、暗い通りで、誰かわからないやつにやられた……右手だね。指は大丈夫だろうか」


「大丈夫だよ。腕をちょっとやられたが、なに、じきに治るよ」


 私は親友を落胆させるに忍びず、もう少しよくなるまで、彼のピアニストとしての生涯が終わったことを、伏せておこうとした。

朗読はこちらから!
江戸川乱歩 短編集(3)
芋虫
何者
モノグラム
黒手組
乱歩朗読9.gif
bottom of page