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妻に失恋した男

「産業経済新聞」1957(昭和32)年10月6日、13日、20日、27日、11月3日

 わたしはそのころ世田谷警察署の刑事でした。自殺したのは管内のS町に住む南田収ひという三十八才の男です。妙な話ですが、この南田という男は自分の妻に失恋して自殺したのです。


「おれは死にたい。それとも、あいつを殺してしまいたい。おい、笑ってくれ。おれは女房のみや子にほれているのだ。ほれてほれてほれぬいているのだ。だが、あいつはおれを少しも愛してくれない。なんでもいうことはきく、ちっとも反抗はしない。だが、これっぽっちもおれを愛してはいないのだ。

 

 よくいうだろう、天井のフシアナをかぞえるって。あいつがそれなんだよ。『おいっ』と、怒ると、はっとしたように、愛想よくするが、そんなの作りものにすぎない。おれは真からきらわれているんだ。

 

 じゃあ、ほかに男があるのかというと、その形跡は少しもない。おれは疑い深くなって、ずいぶん注意しているが、そんな様子はみじんもない。生れつき氷のように冷たい女なのか。イヤ、そうじゃない。おれのほかの愛しうる男を見つけたら、烈しい情熱を出せる女だ。あいつは相手をまちがえたのだ。仲人結婚がお互の不幸のもとになったのだ。

 

 結婚して一年ほどは何も感じなかった。こういうものだと思っていた。二年三年とたつにつれて、だんだんわかってきた。あいつがおれを少しも愛していないことがだよ。不幸なことに、おれの方では逆に、年がたつほど、いよいよ深く、あいつにほれて行ったのだ。そして、半年ほど前から、その不満が我慢できないほど烈しくなってきた。こうもきらわれるものだろうか。だが、いくらきらわれても、おれはあいつを手ばなすことはできない。ほれた相手に代用品なんかあるもんか。ああ、おれはどうすればいいのだ。

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