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一人二役

「新小説」春陽堂、1925(大正14)年9月
 人間、退屈すると、何を始めるか知れたものではないね。
 
 僕の知人にTという男があった。型の如く無職の遊民だ。大して金がある訳ではないが、まず食うには困らない。ピアノと、蓄音器と、ダンスと、芝居と、活動写真と、そして遊里の巷、その辺をグルグル回って暮している様な男だった。
 
 ところで、不幸なことに、この男、細君があった。そうした種類の人間に、宿の妻という奴は、いや笑いごとじゃない。正に不幸といッつべきだよ。イヤ、まったく。
 
 別に嫌っていたという程ではないが、といって、無論女房だけで満足しているTではない。あちらこちら、箸まめにあさり歩く。いうまでもなく、女房は焼くね。それが又、Tには一寸捨て難い、おつな楽みでもあったのだ。一体Tの女房というのが、なかなかどうして、Tなんかに、勿体ない様な美人でね。その女房に満足しない程のTだから、その辺にざらにある売女などに、これはという相手の見つかろう筈もないのだが、そこがそれ、退屈だ。精力の過剰に困っているのでもなければ、恋を求める訳でもない。ただ退屈だ。次々と違った女に接して行けば、そこにいくらか変わった味がある。又、どうした拍子で、非常な掘出し物がないでもあるまい。Tの遊びは、大体そんな様な意味合のものだった。
 
 さて、そのTがね、変なことを始めた話だよ。それが実に奇想天外なんだ。遊戯もここまで来ると、一寸凄くなるね。
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