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陰獣
1928(昭和3)年8月~
それは去年の秋、十月なかばのことであった。
私は古い仏像が見たくなって、上野の帝室博物館の、薄暗く、ガランとした部屋部屋を、足音を忍ばせて歩きまわっていた。部屋が広くて、人気がないので、一寸した物音が、怖いような反響を起すので、足音ばかりではなく、咳ばらいさえ、憚れるような気持だった。
博物館というものが、どうしてこうも、不人気であるかと疑われるほど、そこには人の影がなかった。陳列棚の、大きなガラスが冷たく光り、リノリウムには小さなほこりさえ落ちていなかった。お寺のお堂みたいに天井の高い建物は、まるで水の底ででもあるように、森閑と静まり返っていた。
丁度私が、ある部屋の陳列棚の前に立って、古めかしい木彫の菩薩像の、夢のようなエロティックに見入っていた時、うしろに、忍ばせた足音と、幽かな絹ずれの音がして、誰かが私のほうへ、近づいてくるのが感じられた。
私は何かしらゾッとして、前のガラスに映る人の姿を見た。
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