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地獄の道化師

1939(昭和14)年1月~

 東京市を一周する環状省線には、今もなお昔ながらの田舎めいた踏切が数ケ所ある。踏切番の小屋があって、電車の通過する毎に、白黒だんだら染めにした遮断の棒が降り、番人が旗を振るのだ。豊島区I駅の大踏切と言われている箇所も、その骨董的踏切の一つであった。

 

 そこは市の中心から、人口の多い豊島区外郭にかけての、唯一つの交通路なので、昼となく夜となく、徒歩の通行者は勿論、客自動車、トラック、自転車、サイドカーなどの交通頻繁を極め、それらが、長い貨物列車などを待合せる場合は、踏切の遮断棒も折れんばかりに、あとからあとからと詰めかけて、戦争のような騒ぎを演じ、月に一二度は必ず物騒な交通事故を惹起す慣いであった。

 

 春も半ば、生温かくドンヨリと薄曇ったある夕暮のことである。午後五時二十分の東北行貨物列車が、踏切付近の人家を震動させて、ノロノロと通過していた。例によって大踏切の遮断棒の前には、あらゆる種類の乗物が河岸のごもくのように蝟集し、遮断棒の上がるのを待ち兼ねて、一寸でも一尺でも他のひとびとの先に出ようと、有利な地位を争いながら、人も車もひしめき合っていた。

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