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闇に蠢く

1926(大正15)年1月~

 もう十年程以前になります。はっきりした年代は忘れて了いました。そればかりか、どこからどこへの船路であったか、それすら、どうしても思出すことが出来ません。多分私が二十歳を少し過ぎた頃、その時分流行した人生に対する懐疑と、妙な取り合せですが、覚えそめた遊びの味とが、調和よくこんがらがって、非常に廃頽的な生活を送っていた当時の出来事な為に、一層記憶がぼやけているのではないかと思います。

 

 その船は、二三百噸の小さな鉄張りの木造船でした。私の寝転んでいた二等船室は、船尾の、船の形に丸くなった十畳程の畳敷きの部屋で、夜のことで、そこに油煙で黒く汚れた石油ランプが、二つだったかぶら下げてありました。そいつが、船のゆるい動揺につれて、フラリフラリと、大時計の振子の様に揺れているのです。

 

 どこかの大きな湊につくと、一度に大勢の船客がおりてしまって、あとには、その広い部屋にたった二三人しか残っていませんでした。たださえ赤茶けた畳が、赤黒いランプの光で、一層赤茶けて見えました。船腹に開けられた小さな丸いあかり取りの窓達の下に、それに沿ってグルッと厚い板の棚がとりつけてありましたが、取残された二三人の乗客は、皆その棚の下へ頭を入れて、足を部屋の中心に向けて、船旅に慣れた人達と見えて、多くはグウグウ高鼾で寝込んでいました。

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