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百面相役者

「写真報知」報知新聞社、1925(大正14)年7月15日、25日
 僕の書生時代の話しだから、随分古いことだ。年代などもハッキリしないが、何でも、日露戦争のすぐあとだったと思う。
 その頃、僕は中学校を出て、さて、上の学校へ入りたいのだけれど、当時まだ僕の地方には高等学校もなし、そうかといって、東京へ出て勉強させてもらう程、家が豊でもなかったので、気の長い話しだ、僕は小学教員をかせいで、そのかせぎためた金で、上京して苦学をしようと思い立ったものだ。ナニ、その頃は、そんなのがめずらしくはなかったよ。何しろ給料にくらべて物価の方がずっと安い時代だからね。
 
 話しというのは、僕がその小学教員を稼いでいた間に起ったことだ。(起ったという程大げさな事件でもないがね)ある日、それは、よく覚えているが、こうおさえつけられる様な、いやにドロンとした、春先のある日曜日だった。僕は、中学時代の先輩で、町の(町といっても××市のことだがね)新聞社の編集部に勤めているRという男を訪ねた。当時、日曜になると、この男を訪ねるのが僕の一つの楽しみだったのだ。というのは、彼はなかなか物識りでね、それも非常に偏った、風変りなことを、実によく調べているのだ。万事がそうだけれど、たとえば文学などでいうと、こう怪奇的な、変に秘密がかった、そうだね、日本でいえば平田篤胤だとか、上田秋成だとか、外国でいえば、スエデンボルグだとかウイリアムブレークだとか例の、君のよくいうポオなども、先生大すきだった。市井の出来事でも、一つは新聞記者という職業上からでもあろうが、人の知らない様な、変てこなことを馬鹿に詳しく調べていて、驚かされることがしばしばあった。
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