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一枚の切符

「新青年」博文館、1923(大正12)年7月
「イヤ、僕も多少は知っているさ。あれは先ず、近来の珍事だったからな。世間はあの噂で持切っている。が、多分君程詳敷くはないんだ。少し話さないか」

 一人の青年紳士が、こういって、赤い血の滴る肉の切れを口へ持って行った。

「じゃ、一つ話すかな。オイ、ボーイさん、ビールの御代りだ」

 身形の端正なのにそぐわず、髪の毛を馬鹿にモジャモジャと伸した、相手の青年は、次の様に語り出した。

「時は――大正――年十月十日午前四時、所は――町の町外れ、富田博士邸裏の鉄道線路、これが舞台面だ。冬の、(イヤ、秋かな、マアどっちでもいいや)まだ薄暗い暁の、静寂を破って、上がり第〇号列車が驀進して来たと思い給え。すると、どうした訳か、突然けたたましい警笛が鳴ったかと思うと、非常制動機の力で、列車は出し抜けに止められたが、少しの違いで車が止まる前に、一人の婦人が轢殺されてしまったんだ。僕はその現場を見たんだがね。初めての経験だが、実際いやな気持のものだ。
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