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幽霊塔

1936(昭和11)年12月~
 この世の仲に、私ほど怪奇な、恐ろしい経験談を持っているものはあるまい。幽霊というものがあるかないかは知らぬが、その私の経験談というのは、淋しい山村に立ちくされた、化物屋敷のような古い家の仲を、フワフワとさまよっていた幽霊みたいな人物が、中心となっているのだ。しかも、その幽霊は「牡丹灯籠」の芝居のお露のように、若くて美しい女であった。

 それは今から二十年も前、大正の初めの出来事なのだが、あの事件を思い出す度に、私は長い恐ろしい夢を見たのではなかったかと、疑わないではいられぬくらいだ。

 その事件に出て来るものは、美しい女の幽霊ばかりではない。淋しい山の仲に、まるで一つ目の巨人のように聳えている、古い古い時計塔がある。何百万匹何千万匹という蜘蛛が、ウジャウジャと蠢いている、世にも恐ろしい虫屋敷がある。

 それから、アア、あんなことが、たった二十年前のこの日本にあったのだろうか。悪夢としか考えられない。しかし、私は見たのだ。この目で見たのだ。震災前の東京の賑やかなある町に、誰も知らない地下室があった。その地下室で私は見たのだ。見たばかりではない。ある世にも異様な人物と話しさえしたのだ。
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