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幽鬼の塔

1936(昭和11)年4月~
第(2)章「黒い鞄」より

 その春、犯罪事件の釣師河津三郎は、又一つの新しい釣場を発見していた。

 彼はその頃、毎晩のように黒の背広、黒の鳥打帽という、忍術使いのような扮装で、隅田川の橋の上へ出かけて行った。東京名所に数えられるそれらの橋の上には、設計者の好み好みの構図によって、巨大な鉄骨が美しい人工の虹を描いていた。黒装束の素人探偵は深夜十二時前後に、橋の袂にタクシーを乗り捨て、人通りの途絶えた頃を見すまして、その人工の虹の鉄骨の上によじのぼるのであった。

 闇の中の幅の広い鉄骨は、黒装束の一人の人間を、十分下界から隠すことが出来た。彼はその冷えびえとした大鉄骨の上に身を横たえ、まるで鉄骨の一部分になってしまったかのように、身動きもしないで、二時間、三時間、闇の中に目をみはり耳をすまして、その下を通りすがり、その下に立止るひとびとを観察するのであった。
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