top of page

人でなしの恋

「サンデー毎日」大阪毎日新聞社、1926(大正15)年10月1日
 門野、御存知でいらっしゃいましょう。十年以前になくなった先の夫なのでございます。こんなに月日がたちますと、門野と口に出していって見ましても、一向他人様の様で、あの出来事にしましても、何だかこう、夢ではなかったかしら、なんて思われるほどでございます。門野家へ私がお嫁入りをしましたのは、どうした御縁からでございましたかしら、申すまでもなく、お嫁入り前に、お互いに好き合っていたなんて、そんなみだらなのではなく、仲人が母を説きつけて、母が又私に申し聞かせて、それを、おぼこ娘の私は、どう否やが申せましょう。おきまりでございますわ。畳にのの字を書きながら、ついうなずいてしまったのでございます。

 でも、あの人が私の夫になる方かと思いますと、狭い町のことで、それに先方も相当の家柄なものですから、顔位は見知っていましたけれど、噂によれば、何となく気むずかしい方の様だがとか、あんな綺麗な方のことだから、ええ、御承知かも知れませんが、門野というのは、それはそれは、凄い様な美男子で、いいえ、おのろけではございません。美しいといいます中にも、病身なせいもあったのでございましょう、どこやら陰気で、青白く、透き通る様な、ですから、一層水際立った殿御ぶりだったのでございますが、それが、ただ美しい以上に、何かこう凄い感じを与えたのでございます。
朗読はこちらから!
江戸川乱歩 短編集(8)
人でなしの恋
恐ろしき錯誤
白昼夢
乱歩朗読9.gif
bottom of page