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緑衣の鬼

1936(昭和11)年1月~

第(11)章「望遠鏡」より

「ホウ、こいつはすばらしい望遠鏡ですね。水族館のあの窓のある部屋だけが、一杯に見えますよ。……漆喰の壁にひびが入ってますね。窓のガラスも破れている。ガラスの表面を這っている虫までが、ハッキリ見える位です。……だが部屋の中は暗くて分らない。壁の色は見分けられませんよ、でも、何だか緑色のようにも感じられますね」


 夢中になって覗いているうしろへ、芳枝さんも立って来て、


「あたしにも覗かせて……」


 と、白虹の肩に手を当てた。


「エエ、見てごらんなさい」
 

 彼は言いながら、接眼鏡から目を離しそうにしたが、何を見たのか、突然、異常な熱心さで、再び望遠鏡にしがみついてしまった。


「アラ、どうなすったの。何が見えますの」
 

「人です。あの部屋の中に黒い人の影が動いているのです。……ア、見えなくなった、外へ出て来るのかも知れない。……やっぱりそうだ。水族館の戸口は釘づけになんかなってませんよ。中から誰かが開けようとしている。ア、誰か出て来ましたよ」
 

 そこで白虹の声はパッタリ途絶えてしまった。だが、見るものがなくなったのではない。片目をつむった彼の顔には、一入の真剣さが加わっている。イヤ、真剣さというよりは、むしろ恐怖の表情と言った方が正しいかも知れない。

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