人間豹
1934(昭和9)年1月~
第24章「鉄管の迷路」より
これはまあ何という夥しい鉄管の行列であろう。黒い地上にとり別けて真黒に見える巨大な円筒が、眼路の限り、はるかの彼方までギッシリと並んでいるのだ。
「オーイ、爺さんいねえか。今帰ったよう」
ルンペンが大声に怒鳴ると、忽ち地上の各所から「やかましい」「静かにしろ」などと言う叱り声が湧く様に起った。全く人気もない様に見えた鉄管の中に、夥しい住民が、一日の休息を取っているのだ。なる程安眠妨害に違いない。
だが、無神経なルンペンは、又しても大きな声を立てる。
「オーイ、爺さん、いねえかよう」
すると、どこか地の底の方から、幽かに幽かに、
「オーイ」
という返事が聞えて来た。
「どうも大分奥の方らしいぜ。お前頭をぶっつけねえ様に用心しなよ。俺の後からついてお出でよ」
案内のルンペンはそう言って、一つの鉄管の仲へもぐり込んで行く。明智も仕方なく、四つん這いになって、そのあとからゴソゴソとついて行った。冷い鉄の匂いがする。
長い鉄管を一つ出抜けると、すぐに又別の鉄管の口が開いている。それを幾つも幾つも這い進む内に、実に困ったことが起ってしまった。明智はいつの間にか案内者を見失ったのだ。イヤ、何も見えない真暗な中だから、見失ったのでなくて、気配を感じなくなってしまったのだ。
「オイ、どこにいるんだ」
小さな声で呼んで見ても、自分の声が鉄管に谺するばかりで、返事がない。難儀なことには、ルンペンの名前を聞いて置くのを忘れた。呼ぼうにも呼び様がないのだ。流石の名探偵も、鉄管長屋というものが、これ程奇妙な場所だとは知らなかった。
耳をすますと、どっか遠くの方から鼾の声が聞えて来る。無人の境ではない。人間がいる事はいるのだ。しかし、もう方角が分らなくなってしまった。鉄管は必ずしも並行に列んでいる訳ではないので、幾つも幾つもくぐり抜けている間には、迷路の中に迷い込んだのも同然になる。