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恐怖王

1931(昭和6)年6月~

 一台の金ピカ葬儀自動車が、どこへという当てもないらしく、東京市中を、グルグルと走り回っていた。

 

 車内には、よく見ると、確かに白布で覆った寝棺がのせてある。棺の仲に死人が入っているのかどうかは分からぬけれど、棺をのせた葬儀車が、付添いの自動車もなく、ただグルグルと町から町へ走り回っているというのは如何にも変だ。

 

 葬式に傭われた帰りでもないらしい。と言って、これから傭われて行くにしては、時間が変だ。長い春の日が、もう暮るに間もないのだから。

 

 陽気のせいで運転手が気でも違ったのか。それとも、ガレージの所在を忘れでもしたのか。実に異様な葬儀車だが、誰一人そのあとをつけ回している訳ではないから、別に怪しまれることもなく、いつまでもグルグル、グルグル走り回っているのだ。

 

 やがて、町々の街灯の光が、段々その明るさを増し、空に星が瞬き始める頃、まるで日が暮れ切るのを待ってでもいた様に、気違い葬儀車は、牛込の矢来に近い、非常に淋しい屋敷町の真中で、ピッタリと停車した。

 

 車が止って、ヘッドライトが消されると、それが合図であったのか、軒灯もない真暗な、非常に古風な棟門が、ギイと開いて、門にはそぐわぬ一人の洋服男が、影の様に姿を現わした。

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